丸⭕️で自己肯定感をあげる話

ご機嫌な理由

絶賛簿記3級の勉強中の夏至子です。勉強はじめて半年。やっとこさ問題が一通り解けるようになりました。(おっそ!)

問題の解答には必ず丸をあげることにした

不思議なもので⭕️がつくとなんかホッとするというか、あぁこれでいいんだという思うんですよね。まぁ解答があってるから⭕️してるんだからこれでいいんですけど。難しいデスネ、ニホンゴ、ヒョウゲン。笑 承認欲求ってやつなんでしょうか。こんな⭕️ひとつで安心できるなら、いくらでも自分に丸をあげようと思って(正解の回答には)丸をつけるようにしています。

自分を認めてあげるってこういうことかもしれない

自分を認めてあげるとか承認欲求を満たすとかってこういうことでいいのかもしれませんね。なんか難しく考えすぎていたのかも。自分にいっぱい⭕️をなんなら花丸💮をあげよう。生きてるだけでまるもうけ。なんて言いますもんね。

小学生の頃の日記の宿題のこと

これを書いていてふと思い出したのですが、小学生の頃毎日日記を書いて提出する宿題がありました。担任の先生は毎日帰りの時間までに全員の日記を読んでいました。読み終わったよという印に大きな⭕️と感想が添えられていました。感動した文章には花丸がつく日もありました。今思えば、わたしはあなたをみているよ、そんなメッセージにもとれるなぁなんて思います。誰かが見ていてくれる安心感って生きていくのに大切なことですよね。狭い世界で生きていた田舎の小学生にはその存在って大きかったかもしれないななんて。今はそういう宿題あるのでしょうか。子なしのわたしにはわかりませんし、教職の長時間労働が。。。って朝のラジオでも言ってたからどうなのかな。あの時は面倒に思うこともあったけど(夏至子は先生に怒られるのが嫌で宿題は忘れたことはない臆病者でした)今思うと色々感慨深いものです。

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